プロフィール

【純音楽家エンケン・70年史】

1947年1月13日
茨城県勝田市(現ひたちなか市)にて、警察官の父(哲朗)と元教師の母(千代子)との間に長男として生まれる。
他、妹ふたりの5人家族。

父親の仕事の都合で度々転校を経験する。
小さい頃はラジオの「新諸国物語」に始まり、三橋美智也、島倉千代子、ザ・ピーナッツ、クレージーキャッツ、小林旭などの流行歌や、村のお神楽、大衆演劇、そしてフェリーニ映画や「座頭市」シリーズ、プレスリーからクラッシックまで、様々なジャンルの音楽を聴きながら育った。

1961年(遠賢14歳)
茨城県久慈郡水府村立染和田中学校在籍時に校内で校歌の募集があり、選ばれた女子生徒の詞に木琴で作曲をしたところ見事に採用されて、野球部などの試合の壮行会で全生徒が必ず歌った。これが遠賢の音楽制作の第一歩となる。

1965年(遠賢18歳)
上京。しかし予備校には1日だけしか行かず、たまの定食屋のTVでのプロレス観戦と新宿で映画を観ること、一日一食だけのインスタント焼きそばを糧に、しかしながら親元を離れた喜びと不安を胸に浪人生活を送っていた。
12月、FEN(現AFN)ラジオで、ボブ・ディランの「ライク・ア・ローリング・ストーン」を耳にする。当初「汚い声だ」と嫌悪するも、3度目には「こいつは凄い奴だ!俺も何か創ってやろう!」と決意。たった2畳の下宿屋の部屋に、すっくと仁王立したという。

1966年(遠賢19歳)
明治学院大学に入学。当時主流だった大学サークルのPPMやブラザーズ・フォーを歌うコーラスグループに参加はしてみたものの、ギターも全く弾けないうえにあまりにもボブ・ディラン唱法に固執したため、当然ながらすぐ拒絶される。
しかし友人である飯島氏から古賀ギターを借り、能登川氏(’68年に結成され2度のステージで解散した、幻の初代遠藤賢司バンドにも参加)にコードを教わってギター三昧の日々を過ごす。(この頃、飯島氏の友人である細野晴臣と出会う)
9月、古賀ギターが壊れてしまったため、ヤマハのフォークギターFG-180(18,000円)を月賦で購入。東北学院大学の学園祭で初ステージを経験する。
当時はボブ・ディランの「ミスター・タンブリンマン」や「くよくよするなよ」、ドノヴァンの「カラーズ」などをカバーしていた。

1967年(遠賢20歳)
「自分のことを歌った方が早い」と、作詞・作曲を始める。
そしてAmとGのふたつのコードで作った最初の曲が「ほんとだよ」である。
6月、「TEEN-POPS」コンサートで、早川義夫と出会う。
8月、後に「“ですます調”で歌われた最初の日本語ロック」と称される「夜汽車のブルース」を作る。

1968年(遠賢21歳)
数々のフォークコンサートに登場するようになり、初めて出演したテレビやラジオでの演奏などで、次第に遠藤賢司の名は知られていく。
8月、京都山崎の宝寺で開催された「第3回フォークキャンプ」に初参加し、自作曲「君がほしい」「ほんとだよ」「外は雨だよ」を歌う。このとき初めて関西フォークの面々と交流の場を持つ。
フォークキャンプがきっかけとなり、同年東京に事務所を構えた高石音楽事務所(既にジャックスは在籍)に所属する。月給は高田渡と同じ5万円で契約。
そして11月、デビューシングル「ほんとだよ」と「猫が眠ってる」のレコーディングを行う。

1969年(遠賢22歳)
2月、東芝エキスプレスレーベルよりシングル「ほんとだよ/猫が眠ってる」でレコードデビュー。
5月、TBS「ヤング720」に2度目の出演。同日、エイプリル・フールのメンバーとして出演していた細野晴臣と再会。
8月、岐阜県中津川糀の湖畔にて開催された「第1回全日本フォークジャンボリー」に出演。

1970年(遠賢23歳)
4月、大瀧詠一を除くはっぴいえんどのメンバーが参加した1stアルバム『niyago』を発表。「ニューミュージックマガジン」誌、第2回日本のロック賞・銀賞を受賞。
岡林信康からフォークギター・マーチンD-35を3年月賦の10万円で購入。
8月、「第2回全日本フォークジャンボリー」で、「夜汽車のブルース」「満足できるかな」「ねえ踊ろうよ」等を歌い、拍手喝采を浴びる。
9月、大学卒業。
11月25日、昼頃TVのニュースで、三島由紀夫が市ヶ谷駐屯地で割腹自殺したことを知る。その時の無常観を歌にしたのが、彼の代表作「カレーライス」である。

1971年(遠賢24歳)
11月、名盤の誉れ高い2ndアルバム『満足できるかな』を発表。「満足できるかな」「カレーライス」「寝図美よこれが太平洋だ」「ミルク・ティー」等、現在もライブで演奏されることの多い名曲を多数収録した本作は、「ニューミュージックマガジン」誌の第3回日本のロック賞・金賞に輝く。

1972年(遠賢25歳)
12月、タイニー・ティムからベートーベンまで、幅広いジャンルの音楽を吸収し独自に表現したアルバム『嘆きのウクレレ』を発表。特に、フルオーケストラをバックに自作の詞をつけて歌った「歓喜の歌」は話題となる。本作にて初めて自身のエレキギターの演奏を作品に収め、キャラメル・ママがバックで2曲参加している。「プンプンプン」では後に遠藤賢司バンドのメンバーとなる頭脳警察のトシ(コンガ)と友情ある熾烈な闘いを展開する。

1973年(遠賢26歳)
7月、同年4月30日に神田共立講堂で行われたコンサートの模様を収録した初のライブ盤『歓喜の歌 遠藤賢司リサイタル』を発表。細野晴臣、鈴木茂、松任谷正隆、林立夫、井上陽水などの豪華演奏陣に加え、愛猫の寝図美もゲストとして登場。

1974年(遠賢27歳)
6月(または5月)、渋谷に紅茶とカレーの店「ワルツ」を開店。お客第一号は、のちの怪優・佐野史郎であった。その後、明治通りに移転しライブイベントを催すなどして、80年12月末まで営業。
7月、底知れぬエンケンの“宇宙観”を描いたアルバム『KENJI』を発表。ジャケットデザインを横尾忠則が担当し、現在でもトータルアルバムとしての評価が高い。

1975年(遠賢28歳)
CBSソニーにて「ケンジ・レーベル」を創立。
9月にシングル「遠い汽笛/グッド・モーニング・MR.サンシャイン」、10月にアルバム『HARD FOLK KENJI』を発売。

1978年(遠賢31歳)
3月頃、明治通り「ワルツ」に遠賢考案・特許「ピラミッドカレー」が登場。それはピラミッド型ごはんの回りをカレーの海が取り囲むというもので、その味と共に未だにカレーファンの間でも語り継がれている。
そしてこの年、海外からのパンクやテクノ音楽、特にセックス・ピストルズとクラフトワークに触発され、日本いや世界ロック史に残る名盤『東京ワッショイ』を、四人囃子の協力を得て制作。
11月には先行シングル「東京ワッショイ/不滅の男」が発売される。

1979年(遠賢32歳)
1月、『東京ワッショイ』を発売。横尾忠則のジャケットに象徴されるように、フォーク、ロック、パンク、テクノ、歌謡曲など、あらゆる種類の音楽を咀嚼し吐き出した、唯一無比の傑出した「エンケン宇宙」を完成。
本作は、「ミュージック・マガジン」誌のアルバムレビューにて99点と評される(北中正和氏による評)。

1980年(遠賢33歳)
5月、前作より更にエンケンの内宇宙を深々と表現した、SMF(SM+SF)超大作『宇宙防衛軍』(四人囃子が参加)を発売。
またこの時期はラジオDJや雑誌への執筆、ビートたけしへの楽曲提供(「俺は絶対テクニシャン」)など、多岐に渡る活動を展開。中には「レイジー 男だけのファンクラブ会長」や、「オムライスクラブ」など、まさに“通好み”な活動も展開。

1982年(遠賢35歳)
『東京ワッショイ』『宇宙防衛軍』に感銘を受け脚本を書いたという長嶺高文監督による映画「ヘリウッド」(シネマ・プラセット制作)に主演。音楽も担当する。

1983年(遠賢36歳)
9月、細野晴臣・越美晴らを迎え制作した“3LDKテクノフォーク”、ミニアルバム『オムライス』発売。カウンターテナーのアルフレッド・デラーやクラウス・ノミに触発され、裏声を多用した心温まるエンケン流の環境音楽を奏でている。

1985年(遠賢38歳)
8月、細野晴臣、羽仁未央との写真&エッセイ集「ネコの日」刊行。

<1980年代後半>*LPからCDへと替わる
小説を書くように作ったという“長編ロック”を次々と制作。たったひとりで、エレキギター+マーシャルアンプの組み合わせによる轟音弾き語りライブを展開するようになる。楽曲は「輪島の瞳」「史上最長寿のロックンローラー」「俺は寂しくなんかない」「ラーメンライスで乾杯」などあり、中でも「輪島の瞳」の演奏時間は、1時間近くに及ぶこともあった。
茨城放送でレギュラー番組2本担当。

1988年(遠賢41歳)
3人組のロックバンド「遠藤賢司バンド」を結成。当初のメンバーはハイド(ハロルド)吉見=吉見孝司[B]、ジキル浜田=浜田康史[Ds]だったが、後にベースが湯川トーベン、ドラムが嶋田吉隆になり、91年には遠賢[Vo.G]、トーベン[B]、石塚俊明(トシ)[Ds]のメンバーとなって現在に至る。

1989年(遠賢42歳)
7月、「壱円玉よ永遠なれ!」を自主制作ソノシートにて発売。この年(平成元年)、消費税導入により脚光を浴びることとなった一円玉に捧げられた曲で、発売記念に入場料1円ライブを行う。
11月、遠賢名義での久々のリリースとなるCDシングル「エンケンのミッチー音頭」を発売。奥田民生、近田春夫、巻上公一、戸川純、野沢直子などの豪華コーラス陣をバックに、遠賢・トーベン・嶋田のエンケンバンドが“女シド・ヴィシャス”(遠賢曰く)=青山ミチの名曲を猛烈カバー。歌詞を一部替えて当時人気のラジオ番組「三宅裕司のヤング・パラダイス」の番組テーマにも使われる。
また、89年頃からCDによる旧作の復刻が本格的に行われるようになり、若い世代もCDを通して遠賢の作品を耳にする機会が増える。
同時に過去のライブ音源の発掘も盛んになり、URC復刻再発シリーズの1枚として、超初期のライブ音源から本人が厳選した『遠藤賢司 黎明期LIVE! 1968-1971』が11月に発売された。

1990年(遠賢43歳)
9月、初のライブVHS『純音楽』発売。同年4月20日の渋谷クラブクアトロでのライブが収録されたもので、長編ロック「輪島の瞳」は字幕スーパー入り。

1991年(遠賢44歳)
元旦、遠藤賢司バンドの2枚組ライブCD『遠藤賢司バンド大実況録音盤 不滅の男』発売。遠藤賢司バンドの熱くてブッ太い演奏の数々が、お茶の間でも楽しめるようになる。「輪島の瞳」は25分に及ぶバージョンを収録。
6月9日(ロックの日)、「史上最長寿のロックンローラー」を発売。60cm×60cmという、巨大ジャケットにCDシングル1枚を収録したもの。また海外発売用としてB面に同カラオケを収録した30cmLP盤「PHANTOM FROM FUJIYAMA」も同時発売となった。99歳のエレキ爺=「史上最長寿のロックンローラー」のコンセプトは、後に映画「不滅の男 エンケン対日本武道館」でも生かされている。

1994年(遠賢47歳)
9月、デビュー25周年記念「遠藤賢司大博覧会」を開催。これまで発表してきた作品や楽器、衣装などが展示され、場内で流されたビデオ映像に井上陽水も参加している。また、自主制作カセット「俺は寂しくなんかない/東京ワッショイ」(ライブ音源・根本敬画)が発売された。

1996年(遠賢49歳)
12月、ミディよりオリジナル・フル・アルバムとしては16年振りとなる『夢よ叫べ』発売。ライブを通じてファンの間では、おなじみの楽曲の数々がようやく1枚の形となる。特に、タイトル曲でもありアンコールで必ず歌っていた「夢よ叫べ」の収録は、ファンが待ち望んでいたものだった。
ポニーキャニオンからの同時発売で、みうらじゅんプロデュースによる、遠賢トリビュート盤『プログレマン』も発表された。曽我部恵一、フラワーカンパニーズから友部正人、遠藤ミチロウまで、様々な世代のアーティストがエンケンの楽曲をカバーした。

1998年(遠賢51歳)
6月、アルバム『もしも君がそばにいたら何んにもいらない』発売。弦楽器や生ギターを多用し、友情や男女の愛を歌ったほのぼのとした曲が多い。3枚のオリジナルアルバムに収録されている「頑張れ日本(日本サッカーの応援歌)」は、本作収録のものが一番ライブバージョンに近い。

1999年(遠賢52歳)
2月、渋谷オンエアー・ウエストで、MC5と共に昔から大好きだった、ブルーチアーと対決!
6月、デビュー30周年記念として、生ギターとハーモニカのみで自らの楽曲を一発録りしたセルフカバー・ベスト盤、『エンケンの四畳半ロック』発表。
また、遠藤賢司バンドの活動とは別に、若手ミュージシャンとのユニット「エンケン&カレーライス」も始動。近年のメンバーは、ドラムに元・くるりの森信行、ギターとベースにフラワーカンパニーズの竹安堅一、グレート・マエカワの4人組。

2000年(遠賢53歳)
12月、「エンヤートット We are 21st century boys & girls!」発売。来るべき21世紀の初日の出を加賀の潜戸(くけど)に見に行こう!というテーマを元に、16分27秒という、シングルとしては異例の長さのインスト曲(口上あり)。全編に渡って響きわたる、打ち込みによるエンヤートットリズムの音の海に、エンケンひとりでエレキギター、生ギター、キーボード、生ピアノで対決する。(ジャケット画は、水木しげる氏にオリジナルで描き下ろしてもらう)

2002年(遠賢55歳)
6月、アルバム『幾つになっても甘かぁネェ!』発表。PANTA、鈴木慶一、遠藤ミチロウらの盟友が“幾つになってもポッポ隊”として、タイトル曲にてコーラス参加。「ネコラ」ではNHK「プロジェクトX」のナレーションで世間の注目を浴びた、田口トモロヲがナレーションを担当。岸野雄一の擬音効果と共に、幻の映画企画「ネコラ」の世界を音で構築した。

2003年(遠賢56歳)
7月、エンケン&カレーライスで、「FUJI ROCK FESTIVAL」に出演、特に若い観客の喝采を博す。
この年だけでも、怒髪天、サンボマスター、フジファブリック、少年ナイフ、渋さ知らズ、騒音寺、外道、押尾コータロー、高石ともや、冠二郎まで、常に年代やジャンルに関係なく遠賢の競演魂は続く。

2004年(遠賢57歳)
デビュー35周年を記念して、CD2枚組全35曲3,500円・1曲あたり100円ポッキリという、遠賢選出のベスト盤『純音楽一代 遠藤賢司厳選名曲集』発売。デビューシングル「ほんとだよ」から現在まで、レコード会社の枠を超えたオリジナル音源、究極の2枚組ベスト盤となる。

2005年(遠賢58歳)
9月28日、渋谷「アックス」で、映画『不滅の男 エンケン対日本武道館』完成記念「エンケン祭り」開催。(出演:エンケンバンド、エンケン&カレーライス、曽我部恵一バンド、銀杏ボーイズ)
この日のライブは、後に発売された映画のDVDの特典映像に一部収録されている。
10月、エンケンが、主演・脚本・監督した純音楽映画『不滅の男 エンケン対日本武道館』(アルタミラピクチャーズ製作)が公開。無人の日本武道館で繰り広げられた壮大なライブドキュメンタリー。「それが一番正しく、一番大変だけど、僕が一番観たい映画を作った」とエンケン。
公開記念盤としてアナログシングル「純音楽魂の唄/踊ろよベイビー」、サントラCD『不滅の男 エンケン対日本武道館』発売。

2006年(遠賢59歳)
3月15日、アルバム『にゃあ!』を発売。(参加ミュージシャン:鈴木茂、上原ユカリ、エンケンバンド、エンケン&カレーライス、湯川潮音 他)。
映画「不滅の男 エンケン対日本武道館」、DVD同日発売。
7月7日、「岡本太郎幻の巨大壁画“明日の神話”除幕記念ライブ」に出演。

2007年( 1月13日、遠賢60歳の誕生日)還暦を迎える。
1月13日、還暦記念!9CD+1DVD・LPサイズBOX『遠藤賢司実況録音大全 第一巻 1968~1976』を発売。
渋谷「BYG」で、友達60名ほど集まり還暦を祝う会を開く。
6月6日、シングル「惚れた!惚れた!」発売。
11月、渋谷「クラブクアトロ」で「第1回 エンケン純音楽祭り」開催。(出演:峯田和伸、YO-KING、サプライズゲストで“純芸人”江頭2:50)
新しいトリオ「エンケン&アイラブユー」(ベース大塚謙一郎、ドラム森信行)始動。

2008年(遠賢61歳)
2月22日、フジTV「僕らの音楽」で、森山直太朗のゲストとして出演。「カレーライス」を二人で歌う。
6月28日、沖縄「うたの日カーニバル」、4万人の前で歌う。
7月、企画アルバム『にほんのうた 第2集』に、「黄金虫」(エンケンバンド)で収録。
9月3日、アルバム『夢よ叫べ』の収録曲「ボイジャー君」を、荒井良二が画を描いてLPサイズの絵本「ボイジャーくん」となって、白泉社より発売される。『夢よ叫べ』とは別バージョンの「ボイジャーくん」が、CDで絵本に付録される。
「20世紀少年」の作者、浦沢直樹の画業25周年記念の画集「漫勉」の題字を担当。

2009年(遠賢62歳)
2月1日、デビューシングル「ほんとだよ/猫が眠ってる」発売40周年記念日。
8月1日。40年ぶりに中津川で開催された「’09 椛の湖 フォークジャンボリー」に出演。
8月29日、映画「20世紀少年 最終章 僕らの旗」公開、同姓同名の主人公:遠藤ケンヂを助ける猟師役でゲスト出演。
9月9日、アルバム『君にふにゃふにゃ』発売。(参加ミュージシャン:細野晴臣、鈴木茂、林立夫、上原ユカリ、エンケンバンド他)
9月19日、20日、渋谷「クラブクアトロ」で第2回純音楽祭りを開催! (20日:エンケンソロ、泉谷しげる、曽我部恵一、土屋昌巳、20日:エンケンバンド、頭脳警察、ZAZENBOYS)

2010年(遠賢63歳)
1月22日、9CD+1DVD・BOX『遠藤賢司実況録音大全 第二巻 1977~1986』が発売。
7月2日、「夏祭りにっぽんの歌」(テレビ東京系)に出演、「夢よ叫べ」を歌う。
9月19日、「京都音楽博覧会」に出演。(くるり、andymori、他)

2011年(遠賢64歳)
3月21日、震災10日後、渋谷「BYG」で、「ひとりぼっちの純音楽」を予定通り開催。(売上は寄付)
7月21日、渋谷「大和田伝承ホール」で、落語と音楽のイベント「FOLKvs落語vol.1」に出演。(春風亭昇太、友部正人)
8月15日、震災後の福島でのイベント「プロジェクトHUKUSHIMA」に出演。

2012年(遠賢65歳)
1月11日、アルバム『ちゃんとやれ!えんけん!』発売。
1月13日、渋谷「クラブクアトロ」で「祝!生誕65周年 第3回純音楽祭り」を開催!(出演:大槻ケンヂ、戸川純、山本恭司、満園兄弟)
8月8日、最新ライブ盤『HYPER!ENKEN!HYPER!LIVE!』発売。
8月19日、「フェスティバルFUKUSHIMA!浪江音楽祭in二本松」出演。

2013年(遠賢66歳)
4月 1日、NHK総合TV「おやすみ日本」に出演。(宮藤官九郎、生田斗真、又吉直樹)
5月18日、俳優として出演し劇中で歌も披露した、宮藤官九郎脚本監督映画「中学生円山」が公開。
5月29日、所属レコード会社ミディでの17年間のベスト盤『エンケンロックベスト盤』が発売。ボーナストラックで映画「中学生円山」の劇中歌も2曲収録。
8月16日、郡山「Hello!!816ハロー廃炉」出演。(大友良英、石塚俊明、The STALIN 246、他)
9月25日、10枚組BOX第1巻の濃縮盤、2枚組CD「遠藤賢司実況録音大全 第一巻 完売記念濃縮盤」発売。

2014年(遠賢67歳)
1月15日、映画「中学生円山」DVD&ブルーレイ発売。
2月19日、1969年に弾き語りで録音した幻のデビューアルバム『ひとりぼっちのniyago』発売。
3月19日、9CD+1DVD・BOX『遠藤賢司実況録音大全 第三巻 1987~1991』発売。 
6月4日、全編生ギター弾き語りで制作したアルバム『恋の歌』発売。
11月16日、「草月ホール」で、デビュー45周年リサイタル。

2015年(遠賢68歳)
5月6日、NHKラジオ「大友良英の音楽とコトバ」に生放送出演。(大友氏とのセッション&好きな本や楽曲を沢山紹介)
7月4日、TOKYOMXTV「小室等の新音楽夜話」に出演。
7月8日、2枚組ライブ盤『遠藤賢司デビュー45周年記念リサイタルin草月ホール』発売。

2016年(遠賢69歳)
1月13日、9CD+1DVD・BOX『遠藤賢司実況録音大全 第四巻 1992~1994』発売。
2月17日〜21日、遠藤ミチロウと「不滅の遠藤兄弟」ツアー。(静岡、名古屋、京都、大阪)
5月、俳優として出演した、園子温脚本監督の映画「ひそひそ星」が公開。
6月、癌で闘病中であることを公表。
9月21日、渋谷「クラブクアトロ」で『満足できるかな』発売45周年記念ライブ開催。(サニーデイ・サービスをバックにアルバムを再現)
12月21日、エンケンwithサニーデイ・サービスによる2枚組ライブ盤『45年目の満足できるかな』発売。

2017年(遠賢70歳)
1月13日、全編ピアノ演奏のアルバム『けんちゃんのピアノ画(スケッチ)』を発売。
1月13日、渋谷「クラブクアトロ」で、「祝!生誕70年エンケン祭り」開催。(出演:エンケンバンド、フラワーカンパニーズ、鈴木慶一、PANTA、遠藤ミチロウ、大友良英、大槻ケンヂ、曽我部恵一、湯川潮音、山本恭司)
1月26日、フジオンデマンド(FOD)オリジナル音楽番組「PARK」に出演。(スタジオ収録のライブを配信)
6月29日、渋谷「クラブクアトロ」で、「遠藤賢司ソロライブ “猫と僕と君”」開催。(友情出演:石塚俊明「プンプンプン」Dr、湯川トーベン「猫と僕と君」Ba)
8月8日、「dues新宿」で、『嘆きのウクレレ』・LP『けんちゃんのピアノ画(スケッチ)発売記念イベントを敢行。「続東京ワッショイ」を演奏&トーク&サイン会。
10月19日、大阪「クラブクアトロ」での公演「遠藤賢司ソロライブ “猫と僕と君”関西編」が、体調不良のため中止になる。
10月20日、シアトルのリイシューレーベル、Light In The Atticから、日本のフォークとロックのコンピレーションアルバム『Even A Tree Can Shed Tears:Japanese Folk & Rock 1969-1973(木ですら涙を流すのです)』が発売される。(1曲めに「カレーライス」が収録)
10月23日、体調が悪化して入院。
10月25日、病状が急変し死去。
12月25日、LP『夢よ叫べ』、3面ジャケット45回転、高品質な初アナログ盤が発売される。(遠賢も10月17日に、LPの打ち合わせに参加していました)
12月26日、書籍「『ユリイカ』2018年1月臨時増刊号、総特集「遠藤賢司-言音一致の純音楽家 1947-2017」発売。

2018年(遠賢71歳)
1月19日、書籍「ミュージック・マガジン増刊 遠藤賢司 不滅の純音楽」発売。
1月24日、最後となった2017年6月29日のライブを収録した、2枚組CD『遠藤賢司ラストライブ 猫と僕と君』発売。
1月29日、WEBサイト「DOMMUNE」で、遠藤賢司追悼番組「不滅の男」6時間SPECIAL!を配信。
1月31日、渋谷「クラブクアトロ」で、「生誕71年 エンケン祭り ~追悼・遠藤賢司~」を開催。(出演:細野晴臣、鈴木茂、鈴木慶一、あがた森魚、PANTA、石塚俊明、湯川トーベン、遠藤ミチロウ、大友良英、山本恭司、佐野史郎、原マスミ、大槻ケンヂ、曽我部恵一、フラワーカンパニーズ、湯川潮音、森信行、シーナ&ロケッツ)
2月21日、DVD「純音楽」再発。(1990年4月20日、渋谷「クラブクアトロ」での初期エンケンバンドのライブ映像作品)
4月25日、LP『もしも君がそばにいたら何んにもいらない』初アナログ盤発売。
11月13日、初めてのエンケン本、書籍「現在(イマ)ここで、ちゃんとやれ!そして、夢よ叫べ!」発売。(リットーミュージック)
12月19日、CD『歓喜の歌 遠藤賢司リサイタル』45周年記念盤、発売。

2019年(遠賢72歳)
1月9日、2CD+1DVD『遠藤賢司玉手箱 未発表室内録音集 MIDI時代』発売。
1月10日、渋谷「クラブクアトロ」で、「遠藤賢司デビュー50周年を祝う!男はみんなバカチンだ!」を開催。(出演:鈴木慶一、頭脳警察、直枝政広&曽我部恵一、向井秀徳、湯川トーベン、画鋲、フラワーカンパニーズ、春風亭昇太)
1月10日〜23日、「東京カルチャートbyビームス」で「遠藤賢司大博覧会」を開催。
1月26日、アコースティック・ギター・マガジン3月号 Vol.79、エンケン特集「不滅の男 エンケン遠藤賢司」発売。
3月20日、9CD+1DVD・BOX『遠藤賢司実況録音大全 第五巻 1995~1997年』発売。
4月19日、フラワーカンパニーズが、カップリング曲で「夜汽車のブルース」をカバーした25thシングル「いましか」発売。
10月23日、オリジナルマスターテープからカッティングをした重量盤LP『満足できるかな』発売。
11月13日、遠藤ミチロウと最後の共演となった、大阪「ファンダンゴ」でのライブを収録した3枚組CD『不滅の遠藤兄弟』発売。
12月18日、 浦和で開催された伝説の音楽イベント「ロック・ソサエティ・ウラワ」出演時の幻のライブ音源集『ロック・ソサエティ・ウラワ (1972 RSU音楽祭&RSU夏の陣)』発売。

2020年(遠賢73歳)
1月15日、渋谷「クラブクアトロ」で、遠藤賢司生誕72年「おーい えんけん!ちゃんとやってるよ!」開催。(出演:サニーデイ・サービス、カーネーション 他)